〜 今、この時の心情に向き合う大切さ 〜

今回のケースでは、ご利用者本人から家族のグリーフケアまで関わることができました。
そんな中で学んだことを記事にしました。

・女性、末期がん、PTGBDチューブ挿入して在宅へ移行
・訪問看護で2ヵ月介入
・ご本人は在宅での死を望んでおられたが、ご主人の介護疲労や周囲の支援を受けていることに対して気を遣い、病院へ再入院、令和2年10月に永眠される。
・ご主人とは駆け落ち同然の再婚同士で、口喧嘩しながらも仲良く過ごされていた。
・ご主人との二人暮らし
ご主人は、糖尿病・脊柱管狭窄症あり。下肢浮腫顕著のため歩行困難あり、介護負担が大きかった。気を遣う性格で、看護師へのオンコールも連絡をためらうこともあった。

 

闘病生活の中での声かけ

少しずつ死に向かう日々で感謝、後悔、反省など目まぐるしく出現する闘病生活だったように思います。日に日に病気が進行していき、下肢の脱力や歩行・意識レベルの不安定さが目立ってきていました。ご主人の介護負担や羞恥心からトイレでの排泄を行っていましたが、病気の進行がトイレ排泄を困難にさせ、オムツでの排泄を余儀なくされました。

奥様は、「ごめんね…」と悲しそうにおむつ介助を受け入れていました。

そんな生活の中で私は、利用者と家族へ励ましたり、ふざけたり、笑顔を常に提供するように努めました。利用者、家族にとって闘病生活と言うのは完治が望めないため、笑えない時間が存在していると言うのが理解出来たからです。私は病人としてではなく、最後まで一人の人としてあってほしいと望んでいました。

 

在宅から再度、病院へ

毎日を点滴で過ごす日々。そうしなければ、血圧や意識レベルを保つことができませんでした。病気の進行は発熱なども併発しました。

私もご主人もそんな日々が続き、心身ともに疲労困憊し、改善が望めない状況に「諦め」という気持ちが少しずつ芽生え始めていました。奥様は最後まで在宅を望まれていました。私は、その気持ちに応えたい!と色んな方法を考え、実行してみたりしましたがご主人の苛立ちや諦め、疲労も考えると「頑張りましょう」とは言えませんでした。ご主人も奥様も精一杯でした。私は、その状況を考えると「入院」という選択肢を選ばざるを得ない状況でした。

ある日、意を決して入院の説明を行いました。奥様は最後まで拒否していましたが、ご主人のことを想うと迷惑をかけている罪悪感などから渋々、入院を選択されました。

 

奥様が永眠し、残されたご主人

ほどなくして奥様は入院先の病院で息を引き取りました…

奥様を亡くされ、ようやく苦しみから解放されて良かったという安堵感と寂しさが、「糖尿や足が浮いてるから、ちょっと食事気を付けてるんだ。」と笑顔で話される会話の中や表情から見受けられ、精神的負担から食事量の減少などがあるようでした。

お二人には子供がいません。

毎日行く私を息子のように暖かく受け入れてくれていました。看護介入において介入しすぎという声もあるでしょう。しかし、看護師の存在自体が利用者・家族の支えになっているのであれば、私はこれが私の看護であると自信を持って言えます。そこで私は、ご主人のグリーフケアを提案しました。

徐々にですが、食事量も増え、活気も出てきています。

 

安心を提供する存在

私は自分の看護の正当性は分かりません…。しかし、私は自分の看護に責任と自信を持って訪問に望んでいます。

私は正当性よりも利用者、家族のその瞬間、瞬間の状況を判断して向き合い対応していくべきだと考えています。利用者、家族が不安に感じているときに私自身も不安や迷いを見せると、その思いは伝わり不安を助長させてしまいます。

そのため、一瞬でも気を抜くということは利用者・家族の思いを救い損ねることにもなります。

今回のケースでは、看護技術やマニュアルだけでは行えない、利用者や家族の心の動きを敏感に感じ取って、一つ一つの想いに寄り添い、時には家族の一員となり対応しました。そんな中で私自身も疲弊しながらも、総合的に利用者、家族にとって安心を提供する存在でなければいけないと再確認できました。